10/ 6 運動会・五十日祭 [その他]
2013年10月 6日(日)
起床したら外は曇っていた。雨が今にも降りそうだったが、孫の保育園の運動会は行われるだろうと
思った。会場が昨日の雨で少しぬかっていても、明日に延期は出来ないだろうからね。
午前;朝食後、食休みなく最低限のパソコン作業をした(約20分)。そしてビデオカメラと三脚、デジカメを
持ち、そのまま五十日祭(終わり頃から参加)に行ける服装をして、保育園の運動会に行った。
孫は母親が連れていって、私が会場に着いた時には入場門の列に並んで開会式の始まりを待っ
ていた。さっそくビデオカメラを三脚に載せ、撮影を始めた。
父親を亡くした孫の父親代わりに私の息子が来て参加した。孫はそれなりにうれしそうであった。
これからも時々息子に協力してもらうことになるだろう。11時半頃に運動会は終いになった。孫と
息子と私の妻とで娘の家に急いだ。
着いた時にちょうど霊璽の合祀祭がすみ、玉串の奉奠が始まるところだった。孫を席に着かせる
とすぐに奉奠。続いて故人の両親、兄弟、叔父叔母、その他と続いた。それからお祓いを受け、家
も一部屋一部屋のお祓いを受けた。
五十日祭は忌み明けの区切りの日だそうで、この日からは普段の生活に戻っていいのだそうで
ある。神主さんは故人の友人なので、わからないことを気楽に質問できた。
祭事が終わって、一息ついたところで昼食になった。
午後;食後。故人の遺志により散骨に行った。故人の知人が船を出してくれることになっていて、東京湾
の中程で散骨した。午前中の曇り空が、晴れてきていた。快晴ではないが陽差しが暑いくらいで
あったが、船が動くと海の潮風が気持ちよかった。散骨日和と言うべきか。
散骨するために、遺骨は前もって細かな粉末にされ、参加する人数分に袋詰めされていた。袋は
水に触れると溶けるもので出来ていて、船縁から海に放るとあっという間に袋が溶け、白く遺骨が
広がっていくのが見えた。うまくできているものだと思った。
散骨によって故人は見事に自然に帰ったと思った。私も死んだら海に捨てて欲しいと思っている。
出来れば火葬にしないで、遺体をそのまま黒潮の中にでも捨てて欲しいのだが、日本の法律では
出来ないようだ。残念だが散骨しかないのかと思っているが、今日のような方法もいいなと思った。
ここでも故人の付き合いの広さがものをいった。船を2艘出して、散骨の様子を海側からビデオで
記録してくれた。遺族の希望をよく聞いて場所を選んでくれた。操船も穏やかで丁寧に船を進めて
くださり誰も酔うことなく無事に終了できた。
起床したら外は曇っていた。雨が今にも降りそうだったが、孫の保育園の運動会は行われるだろうと
思った。会場が昨日の雨で少しぬかっていても、明日に延期は出来ないだろうからね。
午前;朝食後、食休みなく最低限のパソコン作業をした(約20分)。そしてビデオカメラと三脚、デジカメを
持ち、そのまま五十日祭(終わり頃から参加)に行ける服装をして、保育園の運動会に行った。
孫は母親が連れていって、私が会場に着いた時には入場門の列に並んで開会式の始まりを待っ
ていた。さっそくビデオカメラを三脚に載せ、撮影を始めた。
父親を亡くした孫の父親代わりに私の息子が来て参加した。孫はそれなりにうれしそうであった。
これからも時々息子に協力してもらうことになるだろう。11時半頃に運動会は終いになった。孫と
息子と私の妻とで娘の家に急いだ。
着いた時にちょうど霊璽の合祀祭がすみ、玉串の奉奠が始まるところだった。孫を席に着かせる
とすぐに奉奠。続いて故人の両親、兄弟、叔父叔母、その他と続いた。それからお祓いを受け、家
も一部屋一部屋のお祓いを受けた。
五十日祭は忌み明けの区切りの日だそうで、この日からは普段の生活に戻っていいのだそうで
ある。神主さんは故人の友人なので、わからないことを気楽に質問できた。
祭事が終わって、一息ついたところで昼食になった。
午後;食後。故人の遺志により散骨に行った。故人の知人が船を出してくれることになっていて、東京湾
の中程で散骨した。午前中の曇り空が、晴れてきていた。快晴ではないが陽差しが暑いくらいで
あったが、船が動くと海の潮風が気持ちよかった。散骨日和と言うべきか。
散骨するために、遺骨は前もって細かな粉末にされ、参加する人数分に袋詰めされていた。袋は
水に触れると溶けるもので出来ていて、船縁から海に放るとあっという間に袋が溶け、白く遺骨が
広がっていくのが見えた。うまくできているものだと思った。
散骨によって故人は見事に自然に帰ったと思った。私も死んだら海に捨てて欲しいと思っている。
出来れば火葬にしないで、遺体をそのまま黒潮の中にでも捨てて欲しいのだが、日本の法律では
出来ないようだ。残念だが散骨しかないのかと思っているが、今日のような方法もいいなと思った。
ここでも故人の付き合いの広さがものをいった。船を2艘出して、散骨の様子を海側からビデオで
記録してくれた。遺族の希望をよく聞いて場所を選んでくれた。操船も穏やかで丁寧に船を進めて
くださり誰も酔うことなく無事に終了できた。
タグ:五十日祭
2013-10-05 10:20
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